偉大なる聖者として、世を去る最期の日まで寺院に集まる人達との対話を続けたというラマナ・マハルシの伝記を読みました。少年期、青年期、中年期、老年期とマハルシの生きた証として、参拝者との対話内容やエピソードが語られていました。
普通は、動物との会話は不可能というのが世間の常識なのですが、ラマナ・マハルシはお猿さんや象とコミュニケーションを取っていたと思わざるを得ないシーンがいくつかありました。人と人だけではなく、動物に相対しても対等な目線で接していた。そして実際対等であったところがマハルシのみならず、私たち人類に於いてもそれがあたりまえのことであることが沁み入ってきました。
誰もが、誰もの内側の探求を続けていけばそこには人間や動物という垣根を超えた一つなるものに辿り着くということを、その在り方によって辿りついて離れることがなかった。本を読むだけのことでしたが、読み勧めていくうちに自己の内側を見えにくくしている自我というものの存在を、より感じることができました。
よりよく生きていくにはどうすればいいのか?相手のことを思いやる気持ちが大事だと思いますが、お互いの共通するところがあればより適切な思いやりという配慮を配ることができる。その「共通するところ」という根源にある一つなる在り方をずっと、会う人・見る人の在り方と相対していたという、そのところが言葉ではなく、非言語で本を通して伝わってくるようでした。

