映画「二宮金次郎」を観ました

友人に「チケットあるぞ!」と誘われたので行ってみました。内容はそのまま、二宮金次郎の人生全体を描いたものでしたが、子供時代のことは描いていても、亡くなる老年期の二宮金次郎はどうして描かなかったのか、ちょっと不思議ではありました。俳優さんを老けさせるメイクはありますが、老人っぽくはやっぱりできなかったのでしょう。

私自身は、二宮金次郎は「薪を背負って読書する」程度の知識しかなかったのですが、ただ勤勉であっただけではなく、親の死と離別をしっかりと受け止め、それを見つめながら人のためを思って働き続けた姿と、わからないことはわかるように分解してものを考えて、それらを別のものに組み合わせて知恵としていた思考の仕方が良いなと思いました。

二宮金次郎がお上に目を留められ、その手腕を期待されある町の守護としていった際、借金を抱えた女性がいました。その女性はたしか二宮金次郎の元で働いていたかと思いますが、薪を5本使っていたところを「3本でも十分いける」とし、残りの2本を買い取ると言い出したのは、自分のことを優先しない気持ちがないと出てこないと思います。一日2本、365日で730本。この薪を売ったお金で、相当その女性は安堵したことだと思います。

きっと、薪を節約して買い取る、という答えをパッと考えて出せるのが二宮金次郎の頭のいいところなんだと思います。そういった知恵と細かな節約術の積み重ねと、農地を広げて、広げた分を農民に貸すのではなく与える。農民に、「オラの田んぼが手に入るのか!」夢とその実現への道を指し示す。つまりやる気がでる。これがあったので、そののちお上に認められて600以上の地域を任せられたのだと思います。子供時代に読書の時に使っていた灯りようの油を使うな、と言われたとき、菜種の栽培を自分で手掛けていましたが、「ないなら作ればいい」の精神が二宮金次郎の思考の底に、地下水のように通っていたのだと思いました。

通して観て、面白い映画でした。よかったのですが、年代ジャンプする際にいきなり場面が切り替わってしまうので、どうしてそういうことをしているのか、という映像での説明がありませんでした。「名主が変わって施政が通らなくなった」→「成田山で断食修行をした」、こういう場面の切り替えがあったのですが、どういう心境の変化があってお寺に入ったのかが映像でなかったので、ん?と思うことが・・・これは成田山だけではなく、他にも2回か3回、移り変わりの描写を省いたところがあったので、そこはソフトランディングするというか、観ている側の、あっ、それでそうなったのね。という納得が得られる作りをしてくれたらなおよかったと思います。

そういうあたりは、ん?となるところはありましたが、二宮金次郎、良かったです。2時間ぐらいの作品なのですが、飽きたりすることがなく面白かったです。また、何か映画を観たりしたらどくしょ感想文として記事を更新したいと思います。でもやっぱり映画は、スクリーンで見た方が心に残りますね。

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